読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

みなケチブログ

皆がケチって教えてくれない本当のことが書いてあるブログ

人間の記憶なんていい加減なもんですよ

今日、ふと子供の頃の嫌な思い出が頭をよぎりました。

 

5歳くらいの幼かった僕は若者で賑わい混雑するテーマ・パークのようなところで、初めて一人で買い物をしようとしていました。窓のついたコンテナの様な店構えのソフトクリームショップの行列に、小さな僕が並び込みどれくらい待ったでしょうか。本来、子供にとって待つことは苦痛だったはずです。ただ、初めて買い物をするという冒険感が心を高揚させ、緊張ではない、興奮ではない妙な感覚が僕を包んでいました。それはソフトクリームを食べられるという喜びを優に上回り、不安なんて全く顔を覗かせませんでした。僕の両親もどこか遠くから見守っているはずです。でもそんなことは関係ありません。僕がひとりでソフトクリームを頼むのです。

どれくらい待ったでしょう。ひょっとしたら10分位だったかもしれませんが、子供にとってはひどく長く感じました。僕の前の親子が注文を終え、列を去りました。いよいよ僕の番です。前に進みコンテナ型のお店ギリギリに立ち、小さな僕のほぼ真上にある窓口を見上げましたが、5歳の子供にとってそのカウンターは高すぎました。僕の視界には人の影なんて見えません。「ソフトクリームください」。僕なりに大きな声を出しました。でも、店員は僕の存在に気が付きません。「ソフトクリームください」。もっと大きな声を出しましたが、引っ込み思案な僕の声は自分が思っていたより遥かに小さなものだったのかもしれません。店員は僕に気づかぬまま、後ろにいたカップルに声をかけます。「ご注文どうぞ」。その高校生と思しきカップルは僕の存在に気づいていたにも関わらず、僕の順番を飛ばして注文し店員がそれに応じた時、僕の冒険は終わりを告げました。「ずっと待ってたのに、ソフトクリームくださいって言ったのに」。号泣しながら立ち尽くすも周りの大人は一瞥をくれるだけでした。

リアル初めてのお使いに挑んだ5歳児は、完膚なきまでに社会に叩きのめされました。その後の記憶は全くありません。

 

僕はソフトクリームが食べられなかったから泣いていたわけではなく、買い物に失敗したことが恥ずかしくて泣いたわけでもないと思います。店員や高校生カップルや周りにいた大人全員に僕の存在を無視されたことが悔しかったのだと思います。

 

あれから数十年。僕は今でも時折この記憶を思い出します。それは一体どこでの出来事だったのだろう。不思議な事に全く覚えていません。ソフトクリーム屋に並ぶ前は何をしていたとか、買えなかった後の出来事も完全に記憶にありません。ただただ覚えているのはそのシーンだけです。そしてそれを何度も思い出すのです。

 

今日、僕はそれをまた思い出したわけですが、この思い出について初めて思うことがありました。ソフトクリームを買うのに失敗したこの苦い記憶は、実は僕が小さい頃に観た夢だったんじゃないかなっと。今までなんとも思っていませんでしたがふっと、あまりに社会が残酷すぎるよなっと思ったのです。子供に気がつかない店員、平然と順番を飛ばす若者、泣きじゃくる子供に見て見ぬふりの大人たち。流石にこれは無いだろっと。 

眠っているとき、脳では凄いことが起きている: 眠りと夢と記憶の秘密

眠っているとき、脳では凄いことが起きている: 眠りと夢と記憶の秘密

 
「お休みなさい」の後で、脳は猛烈に働いている。 それは、疲れをとるといった消極的なものではなく、 きわめてアクティブな役割であることが、最新の脳科学によって明かされつつある。

 

もしこれが夢だったとしたら、僕はこの夢をずーっと現実に起きたことだと考えてきたわけです。小さいころに観た夢を、自分が幼い頃に経験した現実だと長年、何十年も混同し続けてきた訳です。 

こう考えると人間の記憶なんていいかげんなもので、都合のいいとこをカットして重要な部分を印象的なものにして夢を見せれば、それを実際の記憶として思い込ませることは出来るんじゃなかろうかと。

今となっては夢だったのか現実だったのか最早解りません。ただ、そんなことを考えた今日という日は現実で、しがないブログをシコシコと書いています。 

the99.hatenablog.com