社会の荒波におけるコスパの良い生き方 ~絵を始めたよ~
太陽の様に光り輝く天才の閃きが世界を変える
その太陽の光を目印に、気が付くと優秀な人材があれよあれよと集まり強固なビジネスは完成されていく。時が経ち、多くの情報弱者がその光にゴッタ返す頃にはおいしい時期はとうの昔に終わりを告げていて、太陽からの産物だったはずの光は、闇夜に輝く謎の光へと変容している。
それが太陽の光でないことに気付づかず無防備に近づけば、手前に張られた蜘蛛の糸が貴方に絡みつき、能力の低い者はあっという間に食い物とされてしまう。もがいてあがいて仮にその糸を振りほどいても、せめて月光ならば良いものの、先にあるのはただの街灯の光であるから、もがき苦しんだことは時間の浪費以外のなにものでもない。当初の目的だった太陽の光を得ることの10000分の1の価値も得られないだろう。
その点、僕はそもそも太陽を目指していなし(僕の能力では辿り着けないことがわかっている)、閃きやムーブメントを発光する太陽でもない。ましてや限界集落への移住を推奨することもしない。早い話が僕は凡人なのだ(赤面)。
日本社会の荒波に揉まれる凡人な僕
そんな凡人の僕が生き抜く日本社会はあまりに残酷で、ただノウノウと暮らすことを許されるのは黙ってても年貢の納められる地主家系か、ある種たくましく社会保障に乗っかった人たちだけであり、僕はそのどちらでもない。従って、僕は必然的に社会の荒波に飛び込まざるを得ない。
その中で、少しでも楽でコスパの良い泳ぎ方を選択することこそが人として当たり前のことだと僕は思うのだけれど、社会の荒波という奴は平穏なポジションを見つけては、「楽することは悪だ」と言わんばかりに敢えてそこに波しぶきをあげたりする。
また、自分が苦しいのなら泳ぐのを止め浮かんでいれば良いのに、何故泳がないと海底から足を引っ張る輩もいる。なので楽する僕はクズのレッテルを貼られぬ様、泳いだところで何処にも辿り着くことはないのに懸命に泳いでいる滑稽な輩を軽蔑しつつ、そんな輩に紛れ泳ぐふりをしている。もちろんその中で尚コスパの良い生き方を優先しているのは言うまでもない。
荒波におけるコスパの良い生き方
何が言いたいかというと、いずれにしろ僕が社会の荒波を泳いでいるという事実には変わりはなく、御託を並べて言い訳をしたところで端からみれば僕は月並みで平凡で当たり障りのない凡人なのだ。
そんな虚無な生き方をしてきた僕でも学べたことはある(最近は突き抜けたことを言うブログばかりで、品質の高い当たり前のことを言うブログを見つけることが容易くない。このブログがその役割を少しでも果たせたら幸いである。)。これまた在り来たりなフレーズを使ってしまい申し訳がないのだけれど、あながち間違いを述べているとも思わないのでご容赦願いたい。ふたつほど。
- 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる
- 継続は力なり
僕は今日 新たな鉄砲を打ち放ったよ
絵を始めたよ
作品№1「紙の月」
(絵の雰囲気的にどこか「精神病んでる感」が出ているが、無事なので心配しないで欲しい)
※なお、ホビオ氏が、はてなブログで「絵を描く」というグループを作っていたので参加させていただいた。ムーブメントを起こすには二人目が大切だとよく言われるが、その点大変申し訳なく思っている。