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みなケチブログ

皆がケチって教えてくれない本当のことが書いてあるブログ

通勤中のブロガーに読んでほしい清く正しいネット社会のこと

世の中には3種類の人間がいる。金持ちと、天才と、凡人だ。
それら3種類の人間それぞれが可能な限り自分たちが住みやすくする為に駆け引きをする社会において、金もなければ才能もない凡人が意見を反映するには数の力で勝負をしなければならないのだけれど、凡人の一部がインターネットを通じて自分が天才だとか、金持ちになれると大いに勘違いしてし始めている。(さもなくば天才か金持ちなはずの僕が僕を凡人だと勘違いしている。)
ネット社会で意識高い系がバカにされる様になって早何年が過ぎただろうか。バカにされてきた割に意識高い系が未だにスタバやフェイスブックやブログの世界に蔓延っているということは、凡人の枠組みの中でにおいて、意識高い系になりたい奴が実は多数派で、意識高い系を冷めた目で見ていた僕の様な意識低い人間が少数派だったということなのだろうか。

社会悪という言葉がある様に世が回るには一定程度汚いものが本来必要とされる。その汚れを無くすことで生じるカオスを防ぐためにも、先人たちは「必要悪」という実に気の利いた言葉を作り世を巧く動かしてきたのだが、昨今のネット社会においては悲しいかな押し売りと言えるほどのポジティブシンキングが目立つ。言葉どおり必要であるはずの「必要悪」ですら邪険なものと軽蔑されがちで、自己啓発本をコピペしたかの様な勘違いブログとそれを盲目的に称賛することで自分も高尚な人間側に回れると勘違いした人たちがウェブストリームを真っ白な洗剤の泡で埋め尽くしていく。

川が茶色いのは川底の泥(そこには生物もいる)が水流で削れているだけなので、僕としては茶色いことは気にしないのだけど、それを綺麗にしようとして洗剤を川に流し込む人がいれば迷惑だと声をあげるのは僕にとって正義だ。しかし逆に「注意するとは何事だ」と大声で避難された僕は、この人に何を説明しても時間の無駄だと考えてサイレントマジョリティへの仲間入りをしてしまう。

話し合えば分かり合えるなんてことは夢想家の詭弁だということは歴史が証明している。ニュースに流れる国際情勢からも見て取れ、人の命が関わる外交ですらそうなのだから、ネット社会における相互理解なんて言うまでもない。解らない人には解らないのだから交わってはいけないというのが正しい選択だ。表面的な多数派がネットの世に蔓延る今、この胡散臭いポジティブシンキングを僕は受け入れ、全員が将軍様を尊敬しているかの様な美しいネット社会の一員になってしまえばいいのだろうか。そうすれば少なくとも「痛い人たち」に絡まれることはないのだけれど、資産家とそれにコントロールされやすい薄っぺらくて能力と所得の低い意識高い系に侵食され、平穏で非交戦的な僕の現実世界の領土までもが気付かぬうちに浸食されてしまうのではないかと社会派な僕は心配になる。

この様なくだらないネット社会で僕が嘘をつき仲良しこよしで過ごすことは簡単だ。顔をあわせることもなく、気の利いたお世辞と綺麗事くらいはいくらでも思いつく。ただ僕はネット社会でしょうもない人の支持を集めるために媚びるほど恵まれない人生を過ごしていない(朝のホームで◯んこをちょっぴり漏らした瞬間を除く)。そんな態度の結果、僕のブログは閑古鳥が鳴いているけれど、それは僕が同じ様に媚びないからだ。ブログの内容が拙いからなんてことは絶対に無い。きっとそうだ。そうに違いない。そう思わないと辛い。あぁ神様。

このブログを読んで不快になった人もいると思う。ただ、この文章の多くは僕の本心では無く、ただの通勤中の暇つぶしのために書かれた自分で何を言ってるかもわからない散文に過ぎないということを肝に銘じて欲しい。ブログなんてこんなもんだ。真剣にユーモアなくコメントしてくる人の気が知れない。
読み返しもしない適当な文章故に読解するのには時間を要し、あなた方の通勤の時間つぶしには役立ったのではないだろうか。それならば幸いである。

詭弁論理学 (中公新書 (448))

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