みなケチブログ

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正解のない裁判 認知症患者の列車事故

認知症患者の列車事故裁判のこれまでの概要

  1. 2007年 妻(当時85歳)がまどろむ隙に、家を抜けだした重度の認知症男性A(当時91歳)が線路に侵入し、列車にはねられ死亡。
  2. JRがAの妻と子ら4人に損害賠償請求(約700万)。
  3. 名古屋地裁は、介護にあたっていたAの妻と介護方針を主導していた別居する長男に全額の賠償を命じる。
  4. 名古屋高裁は、Aの妻の責任は認めたが、長男の責任は否定。Aの妻に約360万円の賠償を命じた。
  5. 現在、最高裁において係争中だが、3月1日判決がくだされる。

 

JRに過失はないもののAの妻の責任を軽減するという少し珍しい判断が交られるなど、混迷の様子が伺えます。詳細はこちらによくまとまっているので、細かい経緯や流れは見てください。

toyokeizai.net

 

この件で「司法は浮世離れしている」なんて批判はおかしい

85歳の女性が91歳認知症男性の介護をし日中まどろむという一瞬のスキをついて生じた悲劇に追い打ちをかけるJRの賠償請求が非人道的であり、多額の税金で築かれたインフラであぐらをかいても利益が出る様な大企業がすることではない、なんてことを僕は言うつもりありません。人情論をたてに加害者が開きなおれと外野が声をあげるのは筋が違うと思いますし、あまりに無責任です。最高裁が遺族に一切の賠償責任なしとした場合、一体JRの損害は誰が補填すれば良いのでしょうか。JRは大資本企業なので泣き寝入りしなさいということが法的にまかり通るようであれば、自分たち庶民に有利な判決なのかもしれませんが、いかんせん日本社会が歪んだものになってしまう気がします。

もちろん遺族が負担することの残酷さは理解します。85歳の妻ではなく、60代の長男が介護に当たっていれば免れた事故なのかもしれません。施設に入れることで避けられた事故かもしれません。ただ、各家庭には仕事やら家族構成やら、それぞれ事情があります。全くもって介護することを放棄していた訳ではないこの家庭に責任の全てを被らせることが妥当かと言えばそうではないとも思います。

では、国がこんな状況を招いたのかと言えば、恐らく一因にはなっているとは思いますが、ある程度裕福であったAの家庭は家族がAを介護することを選択しました。施設不足や貧困問題と今回の事故は切り離して考えるべきでしょう。勿論他にできたこともあったでしょうが。ひょっとしたら、この様な認知症患者の関わる事故に対しては国が補償する様な制度を設けるとする案がどこぞの党から出されるかもしれません。でもそれも原資は庶民の税金です。もう現役層の疲弊も限界かと。

 

2025年には認知症患者が700万人に達すると言われています。どの道を選んでも苦しい結論が待っている様な状況で最高裁はどのような判決を下すのでしょうか。重い、重すぎます。 

認知症 「不可解な行動」には理由がある (SB新書)

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【3月1日追記】

判決が出ました。家族に賠償責任なしとの判決には正直驚きました。司法が人情論に傾倒し庶民感覚を持ったつもりになってしまっていいんでしょうか。

JRが賠償請求した額は恐らく損害を被った全額ではないかと思います。様々な要素を加味したうえでの請求額、加害者家族が生活を破綻せずに現実的に払うことが可能な額ですら認められなかった訳です。

もしも自分や身内が認知症患者によって引き起こされた事件事故の被害者となった時、国は守ってくれるのでしょうか。裁判所の極端な判決は世間に安心をもたらすより、不安を煽るものとなった、そんな気がしています。

  

東大がつくった高齢社会の教科書

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